『ホテル・ルワンダ』@渋谷Nシアター

 土曜出勤だったのだが、予想よりも早く仕事が切り上げられた事に逆に困っていた。夜の予定(こう書くとやけに艶かしいな)まで随分と時間が空いてしまった。さて、どうしようか。ふと思いつき、手近な書店に入りTokyowalkerを繰る。
 やった。ちょうど良い時間がある。
 渋谷Nシアターで公開中の映画『ホテル・ルワンダ』。次の予定までの空いた時間をすっぽり埋めるかのような上演時間。迷わず劇場に向かう。
 初めて行く所なので1時間前であったが、場所確認のため元まで行ってみるともう席はないのだった。立ち見で見ることに。その回だけでなく、次の回もすでに立ち見状態だと言う。確かに小さい映画館ではあったが、スゴイ人気である。
 
 『ホテル・ルワンダ』。1994年、アフリカはルワンダにおけるツチ族とフツ族の抗争が激化した。フツ族によるツチ族大虐殺。その真っ只中にあって、フツ族の出身でありながらも、ツチ族の人々を含む避難民とともにホテルに立てこもり守り通したホテルの支配人の物語。実話が元になっている。
 
(ここからは、この映画を一つの物語として捕らえ、感想を書く)
 徹底的な『差別』。フツ族でないものは、女子供に至るまで殺す。いや、むしろ未来あるからこそ子供を殺す。一族根絶。ツチ族大虐殺。
 支配人は、国連に助けを求める。しかし、国連軍が助ける対象としたのは、ルワンダ人でなく、そこに滞在する外国人だった。ここでも差別が起こる。肌の色の違いだ。
 この外国人が国連軍に守られながら滞在していたそのホテルを退去するシーンがまた記憶に残る。
 白人ジャーナリストがルワンダ人の女性に、自分も連れて行ってくれと泣き付かれるのに当惑していた。困った挙句、ポケットから数枚の紙幣を出し、渡そうとする。彼はそれがどういう意味を持つか分かってそうしたのだろうか。それとも無意識にしてしまったのだろうか。いや、いずれにしても同じか。もちろん、女性はお金など受け取らない。更に絶望の度合いが酷くなるだけだ。それを取り繕うかのように、そばにいた支配人にその金を渡し、彼女に不自由ないようにしてくれと言い残し、国連軍の守るバスへと向かう。何と滑稽な事か。いや、彼を非難しているわけではない。
 彼は勇敢なジャーナリストで、ルワンダの現状を弾丸飛び交う場所に飛び込み映像を撮り、現状をリアルに世界に伝えていた。
 しかし、同時にやや自嘲気味にこんな事も言っている。大虐殺の現場の映像を世界に流せば、世界中の人がルワンダに助けに来てくれると言った支配人に対して。
「本当に助けに来てくれると思うか?人々はその虐殺の映像を見て『怖いね』と言いながらまたディナーの続きを摂るのだ」
 現状を平等に見たい。妙な偏見・先入観で物事人物を見たくない。本当の世界を見たい。きっと彼は純粋にそう思っている人間なのだ。しかし、自分の中にも、気づかなかったが他を差別的に見る自分がいた。
 雨降る中、国連軍のバスに向かう彼に、ルワンダ人のホテルマンが傘を差し付き添う。彼は吐き捨てるように言う。
「やめてくれ、恥ずかしい」
 
 あらゆる差別に負けず、全世界に向けSOSを送り続けた支配人。
 自分のいる場所は4ツ星ホテルで、自分はそのホテルの支配人である。いかなる状況でも“品格”を落とすような真似は出来ないという信念を持ち合わせていた。戦争下にあってもホテルの客は客として扱う。難民であっても同じ。
 始めはこの支配人にも差別的な気持ちがあった。ルワンダ人であるが、自分は難民とは違う。国連軍、国内の軍隊、富裕者層と対等な立場にいると考えていた。しかし、商売の取引先だったフツ族の男と内戦によって立場が替わって、世界中の差別を受け目を覚ます。この出来事は更に信念を強固にして行く。
 信念は世界を動かす。あり得る事なのだ。但し、強い信念だ。
 感動したとか、涙が止まりませんとか、そういう感想は無い。
 何か、腹の中にドスンと何かを置かれたような気持ちになった。  

 
 
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by skullscafe | 2006-01-29 16:25 | 映画


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