『タンポポ』

 別に意図してやっているわけではないんだが、なんかこのブログはラーメンの話ばかり続いている。
 今日はTSUTAYAで借りてきた映画の話。これがラーメン屋の話なのね。主には。

 『タンポポ』伊丹十三監督作

 今、うちの劇団(恥ずかしいな)は公演に向けて、劇団員(恥ずかしいな)総出で頑張って本を書いている。なんでこんな事になったのか良く分からないが、まぁ、そういう状況になっている。
 で、僕も本を書くにあたり、昔見て良かった映画を見返してみようかと思った次第。
 オムニバスっぽくてヒューマンドラマでおかしみのある作品として、この映画は教科書としてピッタリだと思ったのである。
 思ったのだが・・・予想外。こんなに面白かったか。思っていた以上に面白い映画だった。
 以前、小学だか中学の頃、テレビで見たことがある。僕は非常に忘れっぽいタチなのだが、この映画に関しては結構記憶に残っていた。面白いところはやはり面白いんだが、歳とって見ると、昔は笑って見ていたシーンを泣きながら見ている自分がいたりして、そういった面でも面白かった。良い映画というものは多面性のあるものなのだ。
 場末のラーメン屋が行列の店になるまでのサクセスストーリーを軸にいくつかのエピソードを絡め展開していく。
 エピソードは、すべて『食』が絡んでいる。
 『食』べる事は、人間の第三欲求の中の1つである。せずにはおれない事柄である。
 だから、『食』を描く事は結局は『人間』を描く事になるのだ。
 『食』の前で人間は己の性(さが)を曝け出す。
 浅ましさかったり、性的だったり、喜びだったり、生き甲斐だったり、貪欲だったり、色々な表情を見せる。
 僕は時々、人前で『食』べるという事は何となく、いやらしいとかみっともないとか感じる時がある(藤子不二雄・Fもそんな話を短編で描いていたな・・・)。それはもしかしたらこの映画を見ていたからかもしれない。
 ともあれ、『人間』は『食』の前では素直になったり、頑張ったりするらしい。だから、当人は真剣でも傍から見たらコミカルに見えたりする。
 そんなエピソードの中で秀逸なのが、ある家族の話。
 古ぼけたアパートの1室。危篤状態の女性がいる。周りには医者、看護婦。子供が3人。夫。  夫は意識を失わせまいと必死に呼びかける。「眠っちゃ駄目だ」「何か考えろ」「そうだ歌を歌え」「何かしろ」「しっかりするんだ」
 女性は反応を示さない。
 そして、ふと夫は口にする。
「そうだ、母ちゃん、飯を作れ。夕飯の支度だ」
 それを聞いて、女性はゆっくりと起き上がりフラフラ歩いて台所に立つ。フラフラとチャーハンを作って夫や子供達に食べさせる。
 それを食べて夫は泣きながら「美味い」という。子供達も食べている。
 その様子を幸せそうな表情で眺める。役目を終えたかのように、そこで女性は事切れる。
 日常の繰り返しの中でやってきたこと。夫と子供に御飯を作って食べさせる。それがこの人にとっての使命であり、幸せだったのだ。もぐもぐ食べている家族の姿を見るのが嬉しいことで、生きる活力でもあった。
 それを見届け、きっと女性は幸せを感じながら死んでいった。ボロアパートで家族5人がひしめき合って暮らした。貧乏だったが、充実した人生だったのだ。
 嗚呼思い出しただけで何か涙出てくる。
 昔は、このエピソード、「面白い」と感じる気持ちのほうがどちらかというと勝っていたのだ。死に掛けている人が「メシ作れ」と言われて、いきなりムクッと起き上がって、死にそうなのに御飯作ってる。すごく滑稽だった。ドリフ的な感覚だったのかもしれない。
 昔見ているのも今見ているのも全く同じシーンのはずなのに。これが物語の深みということなのかな?
 それにしても、この映画、多分役者もすごく楽しみながら演じたんじゃないか。皆物凄くイキイキしている。
 良質な物語は作っている者も楽しくなる。それは経験的に知っている。(僕の場合は逆説的に知ったのだけど)
 あー名作だった。これ見てない人は絶対に一度見たほうが良い。
 芝居やっている人なんて特に見たほうが良いんじゃないか。これは僕の勝手な思い込みだけど。

■余談■
 ところで、改装された後のお店の中の内装見て、下北沢の朝日屋食堂(ラーメン屋)を連想するのは僕だけかしらン?
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by skullscafe | 2006-11-19 00:00 | 映画


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